1.サイクルの始まりと終焉
世界はそれをサイクルとみなす:
- 一般にサッカーの世界ではトップチームの監督交代という出来事をサイクルの区切りと見るケースが一定あり(例外もありますが)、コンサはトップチームの監督人事がクラブ全体の方針と密接に関わっているクラブですので、今回の監督退任によりコンサのサイクルは事実上終わったと見ていいでしょう。ということで、2018-2024シーズンを一つのサイクルとしてみた時の振り返りを行います。
※全5回程度で振り返ります。全体的に敬称略で書いていきます。
何のために、何を、どうやって、(誰が):
- まずこのサイクルがどのように始まったのかを改めて関係者の言葉で振り返ります。現在はJリーグに栄転した野々村前社長の説明によると、
- ということになっています。
- この2018年の記事ではライター(江藤氏)が「見ている視線の先が世界なのだ」と評していますが、どっちかというとこの「攻撃型」というワードのチョイスなのか、考え方なのかは、「世界」を感じさせるものかというと、何ともいえないところでしょう。
- むしろ「攻撃型」のような曖昧な概念やワードに妙にこだわる(この記事だけでなく以後頻繁に登場します)のは、個人的にはきわめて日本的な気がします。
- 順番が前後しますが2017年末の、別の記事では、
- 更には
- としています。
指揮官次第でぬるっとpivotする:
- そして2020年2月の、フロントではなく監督に対するインタビューですが
- おそらくアタランタというワードがここで初めて関係者の口から出てくる。ただしこれは監督のインタビューであってフロントが発したものではない。
- その後、フロントが「アタランタ」と最初に言い出したのはコロナでの中断、再開後、F・マリノス相手に極端なマンツーマンを発動して勝利した後の、2020年7月くらいだったかなと思います(明確なソースが見つかりませんでした。記録しておくのは大事ですね。できれば今後誰か手伝って欲しいです)。
- アタランタというのは名詞なので方向性が「アタランタ」だ!と言われると、もう少し説明(動詞や形容詞など)が欲しいものです。
- 就職活動の面接の際に「私は体育会のキャプテンです」と話す人がいますが、「キャプテン」も名詞なので、キャプテンだから根性があるのか性格がいいのか指導力があるのか頭がいいのか知りませんが、知りたいのはそういう人間の中身でありキャプテンというラベルに本質的に惹かれているわけではないはずです。
- 一応「以前から名前(アタランタという名詞)を挙げていた」みたいな話はのちに三上GM?野々村前社長?から聞くことになりますが、2019年までのプレースタイルからするとアタランタというチームを想起することは難しいので、発端は監督の側なのでしょう。
「具体的に何かをやるという予定はないけれど〜」:
- なかなか、こうしたインタビューの切り取りではその人が考えていること全体を推察するのは難しいことは承知の上ですが、これらを振り返って思うのは、このサイクルにおいてコンサというクラブは"why"…なぜ(その監督人事を行うのか)については一応、当初から答えがある。「攻撃型のチームにしたいから」ということです。
- 次に"what"…何をするのかについては、当初「自分たちでボールとゲームをコントロールするところも身に着けていかなければいけない」と言っていたのが、どこかで「アタランタ」と言っていて、アタランタが何なのかについては解釈は人によって色々あるのでしょうけど、ちょっとブレているというかピボット(方針転換、方向転換)をしていると言えるではないでしょうか。上の文章で"why"が一応、答えがある、としましたけど、あくまで一応でしかなく曖昧だから"what"がブレているのかもしれません。
- そしてwhatとも関わりますが"how"…どうやってそれをするのか、については伝統的にこのクラブや体制の弱いところでしょうか。「具体的に何かをやるという予定はないけれど、放っておいてもアカデミーの監督やコーチ、もしかしたら選手たちもミシャのトレーニングを熱心に見にくるでしょう。どんなトレーニングをするのか、俺も気になるからね」としていますが、18-24年の7年間で具体的に何かがあったのか、答えを出すのに十分な時間だと思いますがおそらく何もないのでしょう。
- そして"who"…誰が行うのか?についてはいうまでもなく監督ミシャに対する信頼は揺るぎない、と7年間で再三の名言がありました。whoにはフロントも含まれると思いますが、野々村社長のJリーグ栄転というサプライズがあったものの、フロント人材が頻繁に移動しないというのはコンサの強みというか選手から信頼されるポイントの一つかと思います。
- クラブとして"what"がピボットしているのと感じるのは、
>われわれは攻撃的なチームに生まれ変わらなくてならない。そのためだったらJ2に落ちても構わない。その代わり継続的に攻撃的なサッカーができるチームを作ってほしい
- こちらからも伝わるでしょうか。2024シーズンは「日本一諦めの悪いクラブ」を自称するなど、論点がほぼ100%「J1に残留できるかどうか」になっていました。これはどういう解釈になるでしょうか。「継続的に攻撃的なサッカーができるチーム」に、2023年までで既に到達したということなので、この話の賞味期限は2024年には切れているということなのかもしれませんし、もしくはアイドルグループのように「話の賞味期限はだいたい1年」ということなのでしょうか…
- なお社長が変わったから、と反論があるかもしれませんが、だいたいの組織ではトップが変わると方針がよりドラスティックに変わるでしょう。我々が見てきたものはそれらと比較すると「継続路線」でしょうから、社長が変わったせいだ、という考えで片付けることはできないのではないでしょうか。
- こうしてみると、コンサというクラブは「どうなりたい」というイメージは何となくあるのだけど、それはどういう方向性の延長線上にあるのかと問われると自分たちあまり答えを持っていないし議論が不十分のように見えます。
- そうなると、自分たちで十分に考えられない人たちを導く魔法使いへの信仰心が強くなり、トップチームの監督という存在が、単なるサッカーの現場指導やチームマネジメントをする人だけではなくて、もっと大きなミッションを背負っているのも必然なのでしょう。
何気ない発言で煽られた期待:
- 一応成績的なものに関していうと、19年4月の記事で、
- これもラジオ等で採算語っていたようですが、「21年に今の投資が生きる」というのは、別に「タイトルを取る」とまでは言っておらず成績に関しては非常に慎重な物言いをしています(FC町田ゼルビアが「勝たないとお客さんはついてこない」と指摘していたのと対照的)。
- 一方、後に野々村前社長は「新しい景色を見に行こう」とする、非常に曖昧で色々な捉え方ができるキャッチフレーズを多用することになります。これはタイミング的にルヴァンカップの準優勝(2019年10月)の後くらいが初出のように記憶していますが、もしかするとこのあたりからクラブ内部でも捉え方が変わってきたのかもしれません。
- 前項で出てきたキーワードを改めて拾うと、2018-24年のサイクルにおいて掲げていた話は
- 攻撃的なサッカーで人々を魅了し、それをクラブの"色"にしたい。そのためにはJ2に落ちても構わない。
- より上を目指すならば、自分たちでボールとゲームをコントロールするところも身に着けていかなければいけない。
- といったもので、タイトルを取るとかACLに出るとか何位以内を目指すとか、成績に関することは殆ど話しておらず、これらはどこかのタイミングで、誰かの手によって後から出てきた話です。
- 思い起こされるのは、初年度に春先好調で、ミシャが「ACLを狙おう」と現場の選手やスタッフのモチベーションコントロールのために発した言葉にクラブやサポーターが呼応し(こうしたことを言う監督は過去にコンサにはいなかったこともあって、サポーターにはたいへんポジティブに捉えられたと感じます)、やがてクラブのオフィシャルな見解となって(都倉の「行くぞACL」など)、タイトルやACLなど成績に関する期待が高まっていく。反面ミシャは事あるごとに「札幌はお金がないチームだ」と言い続けますが、これは確かに事実なのでしょうけどサポーターの期待を煽った発端は他ならぬミシャだとみることもできます。
- もっともファンサポーターというのは常にポジティブかつ目に見えるアウトプットを期待するので、ここはファンの感情のコントロールが難しいとは思いますが。
サイクルの評価軸:
- ただ、となると、このサイクルに対する評価軸は
- 攻撃的なサッカーで人々を魅了し、それをクラブの"色"にすることはできたのか?できないとしてもそのプロセスは進んだのか?
- 自分たちでボールとゲームをコントロールするところは身についたのか?
- といったものになるのでしょう。
- 1つ目、「人々を魅了」というのを細かく論じるのは定性的な話で、数字で論じることは難しいものです(やろうと思えば観客にアンケートを取ればいいと思いますが、それも正確な回答が出せるかというと色々な調査バイアスが生じるでしょう)。
- 人によってはDF進藤がゴール前にいるだけですごい、面白い、となるでしょうし。ただそういう人がDF馬場の攻撃参加や、そもそもDFの背後を取られて失点したり負けることについてどう思っているのかわかりませんけども。
- 個人的には毎試合このブログに感想を書いているので、「人々を魅了」についてここで論じることはやめておきます。コンサのサッカーがすごく楽しいという人もいるでしょうしその感性や感覚は一切否定しません。
- ただ、改めて評価軸?KPI?がこうした曖昧なものだと方針やコンセプトはブレていくもので、結局は順位や成績が評価軸になっている感じはしますし、そもそも顧客やスポンサーの満足度というのは順位や成績、タイトルなのでしょう(適当なサウンディングツールでも使ってSNSのリアクション等を解析すればそんな結果が出るのでは)。
- また別の角度ですが、「攻撃的なサッカーをクラブの色にする」というのは、これは一定達成できたかもしれません。何が攻撃的なのかは何とも言えませんが、7年間で良くも悪くも「ある色のスタイル」はクラブ内に浸透していると感じます。ただ「一定はできた」で検証終わり、として先に進むのは安直に思えます。
- そして2つ目、自分たちでボールとゲームをコントロール、これも定性的な話で難しいところです。人によってはボール支配率がなんぼだからいい悪い、となるのかもしれませんが、そんな簡単な話ではないというのはこのブログの読者の方はわかっていると信じていますが。
- ここは私の見解を端的に述べると、「ゲームをコントロール」できていたのなら、毎試合「安い失点が…」と嘆くことはないように思えます。
まとめ(ピッチを取り巻く環境について思うこと):
- 「攻撃的なサッカー」、「人々を魅了」といった曖昧でKPIを設定しにくいことを掲げ、案の定何がどこまでうまくいっていて、どこが足りないのか検証が困難な状態に陥った(現在地がわからないと、苦境の際に途中補強でどんな選手が必要なのかも定義しにくい)。24シーズン最終節の挨拶では三上GMが「しっかりと検証をする」と話していたが、そもそもこのプロセスや価値観で7年間やってきた以上は今さら検証が難しいのではないか。その意味では、客観的な指標等がないだけに、客観性を何らか担保する人なのか体制なのか何らか必要に思える。同じ価値観の人で長年運営してきたが、25年からの新体制でもこの点は変わらないように思える。
- 自分たちでボールとゲームをコントロールできていたか:これも検証が難しいが、ゲームをコントロールできていたという割には一貫して失点が多く、コントロールできていたとする論拠に乏しい。
- 降格してでも〜〜をしたい、と語っていたが、最終的には予算超過でも何としてでもJ1に残りたい、となったのは、このクラブにとっては身の丈を超えていた印象を受ける。まずこの時点でクラブに”哲学”というほどのものはなく、結局はタイトルや成績、J1所属といったステータスが何よりも重要だと考えにどこかでピボットしている。目標を成し遂げた上でピボットするのは構わないが果たして成し遂げたといえるプレーをしていたか。
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