1.形成されていく骨格
1.1 勝率を高めるボール保持メソッド(3-1ビルドアップ)の確立
4月後半から5月にかけては6連勝を飾った札幌。1連勝目となったセレッソ大阪戦は、どちらに転んでもおかしくない試合展開だったが、続く徳島、金沢、水戸、讃岐、山口戦では(少なくとも我々の知っている札幌にしては)ある程度ボールを安定的に保持し、試合をコントロールすることができていたと思う。
札幌が勝ちを重ねた時期は、競争意識を植え付けさせようとした四方田監督が試合ごとに選手起用を少しずつ入れ替えてはいたものの、コアとなる選手は徐々に固まっていった時期だった。
特筆すべきは、開幕戦との相違点でもあるCB中央の増川、左CBの福森、ボランチの深井のスタメン定着。この3人に右DFの進藤を加えた「3バック+1」でダイヤモンド型を形成して行うビルドアップが定番となっていく。
やっていること自体はシンプルかつベーシックで、3バックが横幅を取り(福森と進藤が開く)、深井が相手2トップの間にポジションを取る。中央の深井はオトリにして、主に進藤か福森のところからボールを前進させていくのだが、J2で2トップのシステムを採用しているチームの多く(特に下位チーム)は、3バックでの組み立てに対して2トップ脇を巧く守れない。そのため進藤と福森…特にドリブルでどんどん持ち上がれるスキルのある福森は、相手チームの雑さに気付くと、簡単に敵陣にボールを運んで攻撃機会を創出することができる。
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アンカー(この時は稲本)が中央2トップの間
※画像は負け試合…町田戦 |
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サイドのDF…福森を明けやすくなる ※画像は負け試合…町田戦
(この時は町田がうまくケアしている) |
1.2 ボール保持からの狙い
そしてファーストディフェンスを突破し、ボールを敵陣まで運んだ後の狙いとしては、恐らくだが中央からの崩しよりも、サイドからの仕掛けを重視していたと思われる。その根拠は、単にあまり中央突破による崩しや得点があまり見られなかったということと、小野を欠いたトップ下にジュリーニョを置いたこと。中央での崩しを意識するならば、トップ下なり2トップの一角に、狭いスペースでもプレーできる(もしくは、それを志向する)選手を置くのが一般的だと思うが、ジュリーニョは主にブロックの外で受けてドリブルで仕掛けたり、前線にFWとして張り付いたりと、まるで攻撃陣のフリーマンのような振る舞いが試合を重ねるごとに多くなる。
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3-1ビルドアップからの狙い ※一応色は今年のユニの色から |
1.3 ハマった迎撃守備
また4月~5月の戦いで勝ち点を積み重ねた裏には、相手にボールを持たせた際の守備対応が確立されてきたことも要因として挙げられる。
札幌の守備が最も安定していた時期のやり方を一言で評すれば、やはりFW(前3枚)の中央封鎖→サイドに追い込むプレーから始まっていて、FWがサボらずにタスクを遂行できれば、下の図のように後ろは釣り出されるなどして、最終的に守るべきゾーンにいない、ということが少なくなる。
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FWが中央を切り、サイドに追い込むところからスイッチが入る |
守備に関して個人で言及するならば、ク ソンユンは別にして、都倉と進藤だろうか。
都倉はFW陣の中で最も優秀なDFで、自慢の身体能力は攻撃面よりもむしろ守備面で発揮されたシーズンだったかもしれない。体力が残っている時の、相手SBに寄せる際の圧力は尋常ではなく、味方と連動しなくてもボールを単騎で奪ってカウンターに繋げることすらできていた。無論そこまで望まなくても、体力だけでなく勤勉さや、強い責任感といったパーソナリティも関係しているのか、体力が続く限りは守備をサボることは殆どなかった。
進藤は恐らく、この守備戦術の恩恵を最も受けた選手。あらかじめ低めにラインを設定し、裏を狙われるリスクを矮小化したうえで、上の図や下の写真のようにFWとMFがコースを限定してくれれば、DF(ストッパー)としては前方向、楔のパスを潰すこと(=迎撃)を最優先に考えればよい。
櫛引との競争に勝ち、開幕からしばらく進藤がレギュラーの座を守ったのは、若さゆえの怖いもの知らずな面もあったのか、"前方向の守備"にだけ関していえば櫛引よりも上だと四方田監督が判断したこともあったと思われる。実際進藤は序盤戦は1試合平均のインターせプト数がリーグでもトップクラスの数値を記録する等、四方田監督の期待に十分に応えていた。
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FWがパスコースを限定させると迎撃守備がハマりやすくなる |